平野国臣(ひらのくにおみ)文政11(1828)年〜元治元(1864)年
福岡藩の尊皇攘夷志士。国学に詳しく、和歌をよくし雅楽をたしなみ、また文武に励んだ。
安政の大獄のとき西走、僧・月照、西郷隆盛と同行、薩摩入りし月照、西郷入水のとき同乗していてこれを救助した。
大和天誅組の挙兵に呼応して、長州亡命中の七卿の一人沢宣嘉を奉じ、但馬生野で挙兵したが破れた。
のち捕らえられ京都六角の獄に入れられたが、元治元年、禁門の変のときに、六角の獄中で斬られた。
ときに37歳であった。